築城年代は定かではないが室町時代に知久氏によって築かれたと云われる。 知久平城を居城としていた知久氏が神之峰城を築いて居城を移した。
天文11年(1542年)甲斐武田信玄が伊那に侵攻すると、伊那の諸将は武田氏に降り知久頼元も武田氏に属した。しかし、天文22年(1553年)武田氏が川中島で上杉氏と戦った後、翌天文23年(1554年)知久氏は座光寺氏らとともに武田氏に反旗を翻した。武田信玄は自ら兵を率いて伊那へ侵攻し叛乱を鎮圧、知久氏の主流は滅亡した。
知久氏の庶流が徳川家康に従って戦功を挙げ、江戸時代には交代寄合の旗本として阿島陣屋を構えて復興している。
神之峰城は標高771.5mの神ノ峯山頂に築かれている。 現在山頂部には無線中継施設や久堅神社の境内となっている。
主郭は城山の中央に位置しnhkの無線中継施設が建っている。その西側にある久堅神社のある地が出丸、南東側の尾根に二の丸がある。主郭と二の丸に唯一堀切が残っている。
国道256号線下平公会堂の所から車道が山頂まで通じている。
最寄り駅(直線距離)