築城年代は定かではない。 城主は伊豆木氏と伝えられ、「大塔物語」に応永7年(1400年)に信濃国守護小笠原長秀が善光寺に討ち入った際に従軍した伊那衆の中に伊豆木美作守の名が残る。
その後の動向は定かではないが、天正10年(1582年)織田信長の信濃侵攻により伊豆木家は滅亡し廃城となったといわれる。
伊豆木城は伊豆木陣屋(小笠原屋敷)の北西背後の山に築かれている。 比高60m程の低い山ではあるが、空堀で区画された曲輪が東西に並び遺構は山全体に拡がっている。
主郭は西端で中心となる曲輪から西、南西に伸びる尾根に段が続く。空堀で隔てた東側が二郭で、更に東側に空堀で隔てた三郭がある。三郭は中心がこんもりとやや高く、その周囲に小段を配している。
伊豆木陣屋から山へ通じる道がある。
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