長禄3年(1459年)小笠原清宗によって築かれたとも云われるが定かではない。 信濃国守護職を代々務めていた小笠原氏の本城である。小笠原氏は井川城を本城として長く続いたが、戦国時代に入って平城である井川城から山城である林城を築いて移ったものとみられている。
甲斐を統一した武田信玄は信濃へ侵攻をはじめ、天文17年(1548年)塩尻峠の合戦で小笠原長時は武田軍に敗れた。武田氏は松本平の拠点として村井城を築き林城攻めの拠点とした。
天文19年(1550年)武田氏がイヌイの城を落とすと、小笠原氏の大城・深志・岡田・桐原・山家の五か所の城は自落したという。このとき小笠原長時は北信濃の村上義清を頼って落ちのびた。
林城は薄川の南岸、大嵩崎集落を挟む形で北へ突きだした山に築かれている。集落の東が林大城、西が林小城である。
林大城が築かれている山は南東背後の尾根が細くなり、先端の山頂から北西と北東に尾根が伸びている。このうち山頂から北西の尾根先に向かって城郭遺構が残っている。
主郭は山頂にあり、北西を除く三方を土塁が巡り、背後の尾根には数条の堀切が設けられている。北西下に二郭があり、ここも背後に土塁を設けている。
二郭の北西下は横堀状になっていて、土橋の架かる堀切に面して土塁を築いている。ここから尾根先に向かって階段状の削平地が幾重にも連なっている。この小段の削平地は周囲の小笠原氏の城郭にほぼ共通するように存在している。
主郭の背後の堀切からは北側斜面に向かって竪堀が伸びている。この竪堀は途中幾重にも分流しまた合流する複雑な形状である。
県道297号線を使って南へ進み薄川に架かる金華橋を渡った所に案内板が設置されている。ここから尾根伝いに登山道があるが、林大城は車でも登ることができる。車道は金華橋を南へ渡ってすぐを東へ曲がり、川沿いに進んで行くと道標が建っている。
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