築城年代は定かではないが村井氏(埴原氏)によって築かれたと云われる。村井館に住んで村井氏を称した埴原氏によって築かれたと云われる。小笠原氏が信濃守護職となって府中に入るとそれに属した。
天文19年(1550年)武田氏がイヌイの城を落とすと、小笠原氏の大城・深志・岡田・桐原・山家の五か所の城は自落したという。この「イヌイの城」が埴原城ではないかと考えられている。
埴原城は町村集落の東背後にある山の尾根、標高1000m付近に築かれている。
町村集落にある蓮華寺の北側には、畑地となっているが「殿屋敷」・「梅屋敷」・「的畑」という地名が残り、埴原城の居館があった所といわれている。
埴原城は標高1004m付近に東西二郭の主郭部があり、パンフレットの呼称では西側を主郭、東側を裏の主郭としている。ともに東側背後を高土塁で囲み、西側の主郭は周囲に石積を用いている。背後の尾根には竪堀と畝状竪堀群があるが、この畝状竪堀群の規模は大きく見応えがある。
西の主郭は石積で固められ、特に南東側に二段に積まれた石積が良く残る。また南の虎口は桝形で石積で固められている。ここから南下へ降ると東西に長い帯曲輪があるが、この帯曲輪の西端も桝形虎口で門跡と思われる列石などが残されている。この辺りは特に小笠原貞慶による改修と考えられる。
主郭から北へ伸びた尾根は段曲輪の先に堀切と長い横堀を配した尾根がある。横堀は尾根の側面から北側を回って取り囲むように掘られ、その先に分かれた二つの尾根を両方とも繋いで遮断する長い堀もある。
一方主郭の南側の尾根は段曲輪の東側面に尾根と水平に竪堀が落ちており、南端は藪でハッキリしないが多重堀切のようである。
県道63号線沿いに蓮華寺を目指す。県道沿いに蓮華寺への看板が出ているのでわかりやすい。蓮華寺の所に登山者用の駐車場があり、パンフレットも設置されている。
蓮華寺から主郭までの比高は220m程あるが、尾根上まで登るとすぐに城域に入るので遺構を楽しみながら登ることがでる。
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