信濃 光明寺館しなの こうみょうじやかた
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詳細不明。標柱によれば、吉田四郎忠家の居館と伝承されている。吉田氏は坂東八平氏のうち秩父氏の末裔で、兄弟には小池家兼、赤木親忠、白河親行がいた。
光明寺館は現在の光明寺境内の地に築かれていたという。『信濃の山城と館』によれば、昭和28年頃までは四方の道路に沿って土塁があり、内側には幅1.5mの堀があったとされる。
現状では東の山門脇にわずかに土塁らしき高まりがあるのみである。
東側に参拝者用の駐車場がある