築城年代は定かではないが村井氏によって築かれたと云われる。 天文14年(1546年)武田氏が上伊那を平定すると熊井城は自落して武田氏の手に落ちた。
天文21年(1552年)「高白斎記」に「熊野井ノ城鍬立」とあり武田氏の手によって改修されたとみられる。
北熊井城は東の山塊から西へ緩やかに続いている丘陵に築かれている。
東西に曲輪を列べた連郭式の平山城で、西から「西三」・「西二」・「西一」・「本城」・「東一」・「東二」・「竹の花」と空堀と土塁で区画された曲輪が一直線に並んでいる。北側は水田であるが、南側には横堀が巡っており、本丸と西一郭の間の南側に大手、本丸の東側に東門があったという。