寛文11年(1671年)頃に諏訪氏によって築かれた。 江戸時代初期には諏訪高島藩の東五千石に属していたが、明暦3年(1657年)高島藩主三代諏訪忠晴が家督を相続したとき、弟頼蔭・頼久にそれぞれ千石を分与し旗本諏訪家が興った。 当初は内田に代官所が置かれたが寛文11年(1671年)赤木山の入会の山論が起こった為に所領変更が行われ、内田・赤木の代わりに瀬黒村・竹渕村・白川村・百瀬村の一部が知行所となり、百瀬に代官が置かれた。これが百瀬陣屋の始まりである。
百瀬陣屋には始めの代官として三井氏、享保元年(1716年)より萩原氏と近藤氏が交代で代官となり、その後近藤氏が御用人格兼代官となり明治まで続いた。
百瀬陣屋は現在も代官を勤めた近藤氏の末裔の方の宅地として存続している。 現存する御殿は元々は茅葺屋根であったものが、近年瓦葺きに改められており、江戸時代中期以降の建築と推定されている。
陣屋は南東隅に桝形があり、土塁が残っている。