弘治2年(1556年)本庄実忠によって築かれた。 武蔵七党の一つ児玉党の庄氏が館を構えて、頼家の時に本庄氏を名乗ったことに始まる。
永禄10年(1567年)実忠は鉢形城北条氏邦に攻められ落城、氏邦の配下となる。しかし天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原討伐軍に攻められ落城した。
天正18年(1590年)信濃国松尾から小笠原信嶺が一万石で入封するが、慶長17年(1612年)下総国古河に転封となる。
その後は天領となり、一時関東郡代伊丹播磨守が陣屋を築いたこともあるという。
現在は宅地化が進み遺構はあまり残っていない。 城下公園を見付け、城山稲荷周辺を散策したが遺構は遺構らしきものはないと思っていたが、その後、色々調べた結果、隣の市役所付近に土塁が残り、城山稲荷の鳥居の所に石碑が建っているということである。