康正2年(1456年)に上杉房憲によって築かれたと云われるが定かではない。 深谷上杉氏は庁鼻和城を居城としていたが、憲国の時に深谷城に居城を移した。
深谷上杉氏は関東に勢力をのばす小田原北条氏と敵対したが、天正元年(1573年)上杉憲盛の時、北条氏に降った。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐では城主上杉氏憲は小田原城に詰めていたため不在で、重臣秋元長朝・杉田因幡が守備していたが落城寸前となり開城した。
徳川家康が関東に入部すると(長沢)松平康直が三河国長沢から一万石で入封する。康直が没すると家康の子松千代が長沢松平氏を継いだが夭折し、忠輝が継いだ。
・慶長7年(1602年)忠輝が下総国佐倉に転封
・慶長15年(1610年)(桜井)松平忠重が八千石で入封するが、元和8年(1622年)上総国佐貫へ転封
・元和8年(1622年)酒井忠勝が下総国から一万石に加増され入封、その後三万石、寛永3年(1626年)更に五万石に加増となり忍城へ移封となり廃城となった。
現在は深谷城址公園となっており、一角に城郭風の土塀を設けるなど、城跡をイメージしているが、残された遺構は僅かで、公園の東側にある富士浅間神社脇にある溝が当時の堀跡とされ標柱が建っている。