武蔵 東方城むさし ひがしかたじょう
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築城年代は定かではない。はじめ上杉氏の家臣が居たと考えられ、その後に北条氏の家臣深谷兼長、吉教の持城であったという。
天正18年(1590年)徳川家康が関東に入部すると、松平康長が一万石で東方城主となる。 慶長6年(1601年)二万石に加増されて上野国白井城主、さらに下総国古河城主となり廃城となった。
東方城は台地の東端に築かれていた。さくら保育園の辺りが城域で南の道路に面して標柱があり、その中に土塁が確認できる。案内板が設置されているという情報もあったが見あたらなかった。