詳細不明。内山城と志賀城との間にあり烽火台とも伝えられる。
文亀・永正年間(1501年〜1521年)頃に内山美作守の城であったものが、大永年間(1521年〜1528年)に笠原氏によって攻め落とされたとも伝えられる。
五本松城は志賀と内山との間に聳える標高925mの山に築かれている。南に内山城、北に志賀城、尾根伝いの南東に内山古城と繋がっている。
烽火台との伝承であるが、現状の遺構は東西二つの曲輪があり、大きな堀切によって遮断された立派な城郭遺構が残されている。
西郭が標高925mの山にあり、東西に伸びた細い尾根上を削平し南に帯曲輪が付く。東側は岩が露出して急峻な地形である。
東郭が主郭部で西下と東下を堀切で遮断し、東側はさらに曲輪が連なり自然鞍部に近い堀切が東端に残る。主郭の南下あたりに石積が所々残っている。
整備された道はないが北側の志賀集落側から登った。北山腹にある農道の奥に墓地などがあり、そこから山へ登っていけば簡単に尾根上まで登る事ができる。
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