文久3年(1863年)(大給)松平乗謨によって築かれた。 乗謨は三河国奥殿藩八代藩主で三河国に四千石、信濃国佐久郡に一万二千石の合わせて一万六千石を領していた。飛領地である佐久郡の所領を管轄する陣屋ははじめ三塚村に置かれていたが、宝永6年(1709年)以降に田野口村に移されていた。
文久3年(1863年)領地が手狭で大半の所領が佐久郡にあることを理由に居城を移す事を許され築いたのが龍岡城で、日本ではここと北海道にしか存在しない稜堡式五稜郭として縄張された。慶応3年(1867年)完成し田野口藩となったが、明治維新直前に龍岡藩と改称され、財政困窮を理由に廃藩置県前に廃藩となった。
城は雨川に面して開けた谷間の平地にあり、北の山上には中世の田口城がある。
城跡には田口小学校が建っているが史跡として整備され、駐車場には簡易の資料館のようなものが建てられている。しかし、残念ながら祝祭日関係なく火曜日が休館日のようで見学する事ができなかった。また県道120号線原交差点から東へ進んで行った所に大手門跡の石垣が残されている。
北の山上にある田口城には簡易の展望台があり、五稜郭を上から見る事ができる。
台所(移築 その他)
東通用門(移築 城門)
大広間(移築 書院)