信濃 高野城しなの たかのじょう
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詳細不明。伝承によれば鷹野六助、のちに三枝平右衛門昌吉が居たという。
鷹野郷や鷹野氏の名は古く嘉暦4年(1329年)に「五番五月会 御射山左頭 佐久郡伴野庄大沢 鷹野郷駿河守跡」と『守矢文書』に出てくるのが初見とされる。
高野城は北沢川に沿って東へ伸びた比高10m程の丘陵に築かれている。 主郭部は道路の東側で水道施設が建っている所で、その西側にある諏訪神社のある尾根も城域とされる。現在は畑などとなっており、遺構は余り明瞭ではない。