築城年代は定かではない。入沢氏の城で、応仁3年(1469年)には入沢長助、文明14年(1482年)には入沢長義の名が現れる。
天文9年(1540年)甲斐の武田信虎の命を受けた板垣駿河守によって入沢城も落城したという。
入沢城は吉祥寺の東背後にそびえる標高853mの山に築かれている。
主郭部は北西から南西にやや長く、東西両端が一段高く中央が低い三段の曲輪となっている。東へ伸びた尾根には数条の堀切がやや間隔を開けて続いており、念入りに遮断している。北尾根は自然の緩斜面地形であり、先端は急峻であることから堀切などは見当たらない。西尾根は吉祥寺から続く登山道が付いているところで、先端には天然の岩盤が防壁となるような曲輪群があり、堅固である。
北西麓に三條神社があるが、そちらの方向に向かって三条の長い竪堀が設けてあり、そのうちの一条は登山道脇に確認することができる。
吉祥寺から北側の墓地に登る道があり、そこにある五輪塔のところから主郭に登る道が付いている。
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