元禄16年(1703年)内藤正友によって築かれた。 武蔵国赤松(赤沼とも)より一万六千石で入部した内藤正友によって陣屋が築かれたのが始まりとされる。
正友は入部した年の10月に大坂加番となり、佐久郡の所領は六千石余りを残して摂津・河内に所領が移された。正徳元年(1711年)正友の跡を継いだ正敬は再び佐久郡に一万六千石が与えられ、一千石を弟正直に分与して一万五千石の大名となった。
安政5年(1858年)城主格に昇格した正誠は文久3年(1861年)に築城を開始し、元治元年(1864年)に棟上式が行われたが城は完成を見る事無く藩籍奉還となった。
城は湯川の河岸段丘に築かれている。岩村田小学校の北にある藤城神社に石碑が建てられているが、周囲は宅地や公園となって明確な遺構はほとんど残されていない。
蔵(移築 倉庫)