信濃 平尾館しなの ひらおやかた

城郭放浪記


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信濃 平尾館の写真
掲載写真数
形態
居館
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
なし
城 主
平尾氏
歴 史

築城年代は定かではないが平尾氏によって築かれたと云われる。 平尾氏は依田氏の一族で大井氏に降って平尾に移り平尾氏を名乗ったという。

文明16年(1484年)大井城が村上氏によって落城し、大井氏宗家が滅亡すると平尾盛信は自立し、永正年間(1504〜1521年)には平尾城を築いて詰の城とした。

天文9年(1540年)頃より武田信玄は佐久へ侵攻し大半の諸城はこれに降ったが、この時降らなかった田口城内山城・志賀城を攻略する為、天文15年(1546年)再び佐久へ侵攻した。この時平賀為信の弟為守は志賀城に加勢し、天文17年(1548年)武田氏が上田原合戦で村上義清に敗れると佐久の諸豪族は一斉に蜂起して武田氏に反抗、平尾氏もこれに参加したが、武田氏が前山城田口城を攻略して平定し平尾為信も降伏した。 為信の子守房は武田氏に仕えることをよしとせず、上野国松井田城へ逃れたが、その後松井田城が武田氏によって攻略されると、平尾へ戻ったという。

天正10年(1582年)武田氏が滅亡し織田信長が本能寺の変で倒れると、上野より侵攻した北条氏に佐久の諸城は降ったが、徳川家康は依田信蕃を佐久へ派遣し北条氏の糧道を断つと北条氏は徳川氏と和議を結んで関東へ戻り、依田信蕃によって佐久の諸城は平定された。

平尾氏は五代平尾守芳のとき、小諸城主となった松平(依田)康国に仕えたが、天正18年(1590年)松平康勝が上野国藤岡へ転封となると、これに従い上野へ移り、この地を去った。

説 明

館は湯川の東岸の河岸段丘に築かれている。平根小学校の北の畑となっている所が館跡で、手持の資料では西を除く三方に堀を巡らし、北の隅に櫓台のような高台が残っていたとあるが、歩いてみた限り堀は確認できなかった。

案 内
最寄り駅(直線距離)
2.7km 岩村田駅
3.3km 佐久平駅
3.8km 御代田駅
3.9km 北中込駅
4.2km 中佐都駅
所在地/地図
長野県佐久市上平尾字古城跡
付近の城(直線距離)
1.2km 信濃 平尾城
1.3km 信濃 金井城
1.8km 信濃 曽根城
1.9km 信濃 大井城
1.9km 信濃 戸谷城
2.1km 信濃 燕城
2.2km 信濃 頭槌城
2.2km 信濃 平尾富士砦
2.3km 信濃 小田井城
2.4km 信濃 長倉城
2.4km 信濃 岩村田城
2.9km 信濃 翼城
3.1km 信濃 長土呂館
3.2km 信濃 向城
3.4km 信濃 鳥坂城
3.5km 信濃 宮平城
3.5km 信濃 閼伽流山城
3.6km 信濃 谷地城
3.8km 信濃 民者城
3.8km 信濃 祝堂城
4.0km 信濃 東城
4.3km 信濃 丸山城
4.3km 信濃 鷺林城
4.3km 信濃 道本城
最終訪問日
2009年5月
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