築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)頃に伴野光利によって築かれたと云われる。 伴野氏は伴野館を居館としていたが、大井氏との争いの中で文明年間(1469年〜1487年)頃に前山城が築かれ、文明16年(1464年)には拠点をこの前山城へと移していた。
天文9年(1540年)には武田信虎によって攻略され武田氏に属したが、天文17年(1548年)の上田原合戦の後、武田氏に叛いて村上氏に従った。しかし、天文18年(1549年)伴野左衛門は再び武田氏に降っている。
天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、北条方に属していた伴野氏は徳川方の依田信蕃によって攻められ落城、城主の伴野信守は討死した。
前山城は中沢川に面して北東へ伸びた尾根に築かれている。 現在は公園として整備されている。
前山城は北東へ伸びた尾根に堀切で区画した曲輪を連ねている。北端の頂部にある東屋の建つ所を本丸、その南の神社のある所を二ノ丸、堀切を挟んで南西にあるのが三ノ丸とされる。
主郭は本丸・二ノ丸と呼ばれる北端の曲輪で、南尾根を堀切で遮断している。そこから北東麓へ伸びる斜面は果樹園となっている部分も多いが、登山道に面して削平地から連なる。
堀切の南は三ノ丸と呼ばれる広い曲輪で、南端に塚状の土盛りが一つあり、その南に堀切、やや離れて二重堀切で遮断している。
登り口は北、南、東麓の三箇所があるが、東麓の県道145号線沿いにある登山口には案内板が設置されている。ここから登る場合は北側にある前山消防団詰所の空き地に車を駐める事ができる。
最寄り駅(直線距離)