築城年代は定かではないが平安時代末期に根井氏(ねのい)によって築かれたと云われる。 根井氏は滋野氏の一族望月氏の支流で根井行親の父国親の頃にわかれたという。
根井行親は木曽義仲の四天王の一人に数えられた人物で、保元元年(1156年)の保元の乱では源義朝に従って奮戦し、治承4年(1180年)木曽義仲が挙兵するとそれに加わって各地を転戦した。寿永3年(1184年)源頼朝が源範頼・源義経に木曽義仲の追討を命じると、木曽義仲とともに近江へ逃れ「宇治川の戦い」で敗れて討死した。
館は湯川の北岸の平地にあり、現在の正法寺周辺が館跡とされる。 特に遺構は残っていないようであるが、正法寺の墓地の中に根井行親の供養塔が建てられている。