築城年代は定かではないが弘安年間(1278年〜1288年)頃に大井行氏によって築かれたと云われる。 行氏は大井城主大井光長の四男である。
天文年間(1532年〜1555年)には宗家大井氏とともに武田氏に降り、天正10年(1582年)大井政成は武田氏が滅亡して織田信長が本能寺の変に倒れると佐久へ侵攻した徳川家康の武将依田信蕃に降り、小諸城主となった信蕃とその子松平康国に仕え、天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に伴い、松平康真が上野国藤岡へ転封となるとそれに従ったという。
城は千曲川の東岸、千曲川に流れ込む支流の南に位置する河岸段丘に築かれている。
県道沿いに石碑が断っており、周囲は宅地などになっているが、微高地の曲輪とその間を巡る堀が県道を跨いで東西に残っている。
県道78号線の西側に石碑が建っている。
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