築城年代は定かではない。
天文3年(1534年)頃は志賀肥前守が城主で、後に佐久に侵攻した武田氏に降った。天正11年(1582年)頃には志賀与惣左衛門が城主で、武田氏滅亡後に徳川家康に従って佐久を平定した依田信蕃に降った。
高棚城は志賀氏の居城とされる志賀城からさらに奥へ入った標高1015.8mの高棚山(天狗岩)に築かれている。
山頂近くにある高棚大天社の脇から登っていくと山頂にある曲輪群へと到達するが、周囲は切り立った崖で天然の要害である。切岸も低く、削平地も限られている。
登山道入口は高棚大天社の参道入口でもあり、鳥居が建っている(地図)。この参道入口付近に車を駐める事は可能。
ここから山に入って行くと開墾されたような石垣のある平段を横目に谷筋を登っていく。すると途中y字に分岐路があり、どちらに行くべきか迷うはず。これは左へ行くのが正しい。しばらく行くと谷の奥から山上へと登っていく道があり、登り詰めた所に高棚大天社が祀られている。
最寄り駅(直線距離)