築城年代は定かではないが承久年間(1219年〜1222年)有賀次郎によって築かれたと云われる。 有賀氏は信濃国諏訪郡有賀発祥で諏訪一族といわれる。
天文11年(1542年)高遠頼継が挙兵したときには武田氏に味方したが、天文15年(1546年)有賀泰時は木曽義昌に通じて武田氏に滅ぼされ、原虎胤が城主となり、天文18年(1549年)には千野靭負尉が城主となった。
慶長6年(1601年)諏訪頼水が高島の領主となると、千野丹波守房清が城主となった。
城は諏訪から上伊那に抜ける有賀峠の入口に築かれている。 千野氏の菩提寺である江音寺が北麓にあり、千野氏の墓所と畑となっているが千野丹波守の館跡といわれる丹波屋敷跡がある。
城は北にのびる尾根の中腹に主郭を置き、南背後は大空堀で断ち切って、北尾根に小曲輪を段々に配している。
主郭背後は高土塁で低部に石積があるが、これは主郭に奉られている秋葉大権現の名残と考えられている。
決して大きなお城ではないが、主郭背後の堀切や竪堀、曲輪に残る土塁など見ごたえ十分なお城である。