築城年代は定かではないが桑原氏によって築かれたと云われる。
天文11年(1542年)武田信玄が諏訪へ侵攻し、上原城の諏訪頼重を攻めると、頼重は上原城を焼き払って桑原城へと退いたが、これを退けることはできず降伏し甲斐へ連行された。
城は西へ突き出した尾根の先端が小高くなった所にある。 「桑原口」と「普門寺口」からの登山道が東の尾根で合流するが、ちょうどその辺りに堀切があり、それを登って行くと東曲輪で首塚が残っている。
主郭と二郭は空堀を挟んで東西に位置し、主郭には東側に土塁が残り、二郭は中央部に南北に堀状の凹みが見られる。