築城年代は定かではない。文明15年に上社の内訌から下社の金刺氏が攻め落とした小戸が知られている。天文18年には武田氏の拠点として鍬立が行われ改修された。天正10年(1582年)武田氏が滅亡して織田信長も本能寺の変で倒れると、諏訪頼忠が再びこの地を押さえて高島古城に入り、金子城を築いて移った。その後、徳川家康の関東移封に従って諏訪氏が移ると、日根野高吉が高島古城に入るが、新たに高島城を築いて廃城となった。
高島古城は上諏訪中学校、高島小学校の東上にある桜ケ丘県営住宅の辺りに築かれていた。
桜ケ丘県営住宅の辺りが本丸、北の水道施設の辺りが二ノ丸というが遺構はない。県営住宅の入口付近に案内板が設置されている。