天正18年(1590年)那須資晴によって築かれた。それ以前に土豪佐良土氏によって築かれたとも考えられている。
天正18年(1590年)烏山城主那須資晴は豊臣秀吉による小田原征伐に参陣せず、所領を没収されわずかに五千石を与えられ佐良土館に隠棲した。文禄元年(1592年)文禄の役で那須資晴は二百五十騎の兵を引き連れて肥前国名護屋へ参陣した。
慶長14年(1609年)資晴が没すると、嫡子那須資景は父の遺領を合わせて一万四千石となり、福原要害城を居城とした。
佐良土館は那珂川と箒川の合流地点の北西にある平地に築かれている。
やや小高い台地に方形と見られる土塁が巡り、わずかに堀跡が残っている。
国道294号線と国道400号線の交差点から50m程南にある交差点を左へ曲がり、東へ進んでいくと「お城」と書かれた看板がある。ここが佐良土館。この辺りの道脇にはこのような看板が上げられているのだが宿場町の名残か屋号であろうか。