築城年代は定かではないが正平年間(1346年〜1370年)に金丸肥前守資国によって築かれたと云われる。資国は那須氏藤の二男で金丸を分知され根小屋館を築いて居城とした。
「日本城郭体系」や「栃木県の中世城館跡」ではその後応永年間(1394年〜1428年)に大関氏が白旗城に移った際に金丸氏も金丸要害城に移り廃城となったとある。しかし、「那須の戦国時代」によれば、資国の時に堅田郷を与えられ金丸要害城を築いて移ったとある。
根小屋館は南金丸の平地に築かれていた。南北に長い長方形の居館で土塁と堀が巡っていたという。現在は水田と宅地で土塁の一部が残っている。