天正12年(1584年)柴田勝家と羽柴秀吉が戦った賤ヶ岳合戦で築かれたという。
柴田軍と羽柴軍は当初賤ヶ岳付近に砦群を築いて睨み合いとなっていたが、羽柴秀吉が主力を率いて岐阜城攻めに向かった隙に柴田軍の佐久間盛政が前線を迂回して羽柴方の大岩山砦を急襲し、大岩山砦を守っていた中川清秀を討ち取った。これに連動して別所山砦にいた前田利家も前進してこの茂山砦を構えた。
急報を聞いた羽柴秀吉は岐阜城攻めを中止して急遽引き返し、大岩山一帯に布陣していた佐久間盛政軍を攻めた。秀吉の主力が戻ってきたことで佐久間軍は引き上げようとしたが、これを見た前田利家軍が茂山砦を破棄して山を降り、戦線を離脱しはじめた。続いて金森長近軍も撤退を開始すると、柴田軍は総崩れとなった。
茂山砦については明確な遺構も確認されておらず、詳細は不明である。
『滋賀県中世城郭分布調査』の推定位置は神明山砦から西へ登った標高350m付近である。 三つの小ピークのうち北東端のピークには若干削り込んだような地形を確認できるが、それ以外は自然地形または山仕事による改変程度で城郭遺構は見当たらない。