天正11年(1583年)賎ヶ岳合戦で柴田勝家方の砦として築かれた。 城将は金森長近あるいは原長頼という。
橡谷山砦は行市山から東へ派生した尾根の標高368.4mの山頂一帯に築かれている。 ここで紹介している橡谷山砦は「滋賀県中世城館調査報告」による仮称で、現地に建つ標柱は「中之谷山 原彦次郎長頼」としているので注意して下さい。同書による「中谷山砦」はここから南東の尾根にあり、ここには現地標柱もないため、表記は「滋賀県中世城館調査報告」に従っている。
橡谷山砦は東西に伸びた尾根の西端と東端に土壇があり、曲輪となっている。 西側の曲輪は薮化して遺構がはっきりしない部分が多い。東の曲輪は先の標柱が建っており、多角形の曲輪で周囲に低い土塁が巡り、西側に堀切がある。切岸の外側に犬走の通路が設けられ、南に虎口らしき開口部が残る。
余呉町新堂にある毛受兄弟墓より行市山山頂へ登る登山道の途中にある。橡谷山砦の前は「中谷山砦、後は別所山砦の写真を参照。
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