詳細不明。伝承によれば地頭の熊谷氏一族熊谷忠平の居城と云われる。
『滋賀県中世城館調査報告書』では羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賎ヶ岳合戦で、秀吉方の丹羽長秀の将兵が西岡城を改修して籠もっていたのではないかと推測している。
西岡城は日計山から南へ伸びた山の標高326m付近に築かれている。
土塁囲みの技巧的な虎口を有する陣城で、東、北西、南の三方の尾根を堀切で遮断し、側面には横移動を防ぐ竪堀を設けている。
大手は東の虎口dと推測されるが、そこから下る道は不明で堀切1と竪堀6の間をジクザクに降りる踏み跡が辛うじて存在する程度である。虎口dを入るともう一つ虎口eが存在していたと推測され、わずかな段があり、北側が横矢の土塁となる。さらに曲輪ivが存在することで、より堅固に虎口を固めている。この曲輪ivは空堀4によって区画されているものの南端は土橋で繋がっている。
一方搦手は曲輪iiiから降りている虎口aであるが、そこへの経路が難しい。曲輪iは西にcの開口部が存在するが、これは後世に設けられたと推測され、曲輪iiの東端にある土塁bから出入りしていたのではないかと推測する。
曲輪の周辺尾根は比較的緩斜面地形が続いているが、南方に180mほど離れた所で尾根を下る斜面を利用して土塁と切岸の造成があり、尾根下に堀切dが存在する。これらの空間を兵站地として利用されていた可能性がある。
特に整備された道は存在しないが、南東麓の横波地区にある日吉神社から山を越えて西側に出る道が存在していたようで、これを利用して尾根上に登り、そこから尾根伝いにアクセスした。尾根上まで登れば歩きやすい山となっている。また尾根上までは西側から作業林道がついているようで、そちら側から登る方が簡単かもしれないが未確認である。
日吉神社には駐車場があるので利用できる。
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