陸奥 駿河館むつ するがだて
△トップに戻る
永享5年(1433年)以降に西海枝駿河守によって築かれたと云われる。 永享5年(1433年)に新宮城主新宮氏が滅亡した後、熊野神社守護に任ぜられた西海枝駿河守によって新たに館が築かれ、以後、熊野宮守護代々の居館となったと云われる。
駿河館は国指定重要文化財として知られる長床のある熊野神社の北にある大同寺の北側に築かれている。館跡は方形で土塁と堀が巡らされていたようであるが、現在は畑となっており、一段小高く残っているものの、あまり良い状態ではないようである。