永延2年(988年)城氏によって築かれたと云われる。 越後の城氏が磐梯慧日寺(恵日寺)と結んで会津へ進出し、陣ヶ峯城を築いて会津八館の一つとし、沖野太郎を城代として置いたという。
城重則は正暦2年(991年)に戦いで敗れて片門村で自刃したという。
陣ヶ峯城は勝負沢扇状地の東端に築かれている。台地の東端に築かれた城で西から南側にかけて大きな空堀を二重に配置して台地から切り離している。
内部は川西公民館や畑となっているが、その周囲には大きな空堀が二重になり、土塁も一部残っている。雨が降って日暮れ間近ということもあり、堀に降りると真っ暗だし草木が茂っていて歩きづらい。