築城年代は定かではないが十二丁目氏によって築かれたと云われる。 十二丁目氏は永享年間(1429年~1441年)に伊藤右市之助裕光が十二丁目の上館に住んで十二丁目氏を称したことに始まるという。
十二丁目氏は稗貫氏の重臣で天文24年(1555年)に稗貫義時が上洛したさい十二丁目下野守が随臣している。、天正20年(1592年)南部四十八城注文で南部氏によって破却されたが、慶長5年(1600年)の和賀一揆で和賀勢が十二丁目城に楯籠もって南部の家臣北氏に攻められている。
十二丁目城は北上川に面した段丘端に築かれている。
集落内の道路沿いに標柱が建っており、城の中心はその北東側一帯で宅地などになっている。遺構はあまり明瞭ではなく、一部堀跡らしきものが点在しているのみである。