築城年代は定かではない。城主は和賀氏の一族安俵小原氏で、和賀氏四天王家に数えられる。
最後の城主安俵玄蕃頭忠秀は、天正18年(1590年)豊臣秀吉による奥州仕置きで追放となった。 慶長5年(1600年)忠秀は葛西氏の遺臣を中心とした和賀・稗貫一揆に加担して仙台で自刃した。一揆が安俵城に攻め寄せた時には、江刺氏の家臣原体主膳が守将として在城していたという。
城は安俵本町一帯の丘陵に築かれている。北から一の郭・二の郭・三の郭と連なる。一の郭には館上神社が祀られており、実成寺の西側には土塁と堀跡が残っている。城跡は大半が宅地となっているが、実成寺付近裏には水堀と土塁が明瞭に残り、曲輪を区画した堀の名残りが通路として残っているようである。
県道39号線沿いにある安俵公民館付近に案内板が設置されている。
最寄り駅(直線距離)