築城年代は定かではないが八重幡氏によって築かれたと云われる。 八重幡氏は稗貫氏の家臣で藤原氏の末裔という。
永享7年(1435年)稗貫氏の居城である小瀬川城が包囲されたとき、稗貫家の執権八重幡豊前守が勇戦したことが伝えられている。
豊臣秀吉の奥州仕置きによって稗貫氏は改易となり、八重幡美濃守もまた滅亡した。
八重幡館は北上川に面した平地に築かれていた。
複郭の平城で、本丸、二の丸、三の丸、出丸、内館などの曲輪があったようであるが、現状は田畑や宅地であり、わずかに堀らしき遺構が残る程度である。
県道沿いに案内板がある。
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