築城年代は定かではないが稗貫氏によって築かれたと云われる。 稗貫氏は藤原北家の伊達家の分流とする説が有力であるが、出自に関しては詳らかではない。
稗貫氏は小瀬川城から本館(十八ヶ城)に移り、さらに鳥谷ヶ崎城(花巻城)へ移ったが、豊臣秀吉による奥州仕置きで改易となった。
本館は県道298号線の西にある台地に築かれていた。 県道の本館口から西へ登った所に『本館i遺跡』という標柱があるが、このqrコードを読み込ませると稗貫氏の本館に関する説明が表示される。
堀跡がのこっているのかもしれないが、確認できていない。