築城年代は定かではない。城主は新堀氏で稗貫氏の家臣であった。
豊臣秀吉による奥州仕置で稗貫氏とともに没落したが、新堀作兵衛義広は南部氏に仕えて200石を領した。その後、前田利家の家臣内堀四郎兵衛の領地を経て江刺兵庫隆直の領地となったが、慶長17年(1612年)江刺氏は土沢城に移り廃城となった。
新堀館は新仙寺の背後に聳える標高180m程の山に築かれている。
山頂の主郭を中心に北西、北尾根に段曲輪を配している。主郭には巨石がありかつては館神として稲荷神社が祀られていたという。主郭と北東尾根の曲輪は丁寧に削平されているが、北西尾根の曲輪は削平があまく、小さな段差の切岸構造となる。
この山上の曲輪群を取り巻くように高い切岸を設け、数m下には部分的に横堀がある。横堀は水平ではなく、高低差があり、尾根上では堀切、そこから下って側面では横堀といった具合に上下する。
新仙寺からも登山道があるが、寺へ登る道の入口から少し南へ行ったところに林道の入口があり、そこから入ると山腹に駐車場と案内板が設置されている。
新仙寺は内堀家の菩提寺で墓がある。
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