文治5年(1189年)源頼朝は奥州藤原氏を討伐するために鎌倉をたち、平泉を制圧してこの陣ヶ岡に到着した。贄の柵で藤原泰衡を討った河田次郎は頼朝に首級を献上したが、不忠であるとして成敗された。
天正16年(1588年)南部信直が高水寺城の斯波氏を攻めたとき、この陣ヶ岡に在陣している。
陣ケ岡は比高30mほどの緩やかな独立丘陵で、山頂は蜂神社の境内となっている。
何の変哲もない緩やかな丘陵であるが、西の麓近くに空堀があり、内側には土塁を設けている。この空堀は北から南まで西半分が半円として残っているが、東側は果樹園の造成などで存在していない。
発掘調査などが行われておらず、遺構年代は不明であるが、戦国期の遺構のようには見えず、古い時代の遺構という印象を受ける。
南側から参道があり、車でそのまま蜂神社境内まで乗り入れでき、駐車場がある。
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