築城年代は定かではないが弘仁3年(812年)頃に文室綿麻呂によって築かれたと云われる。
大和朝廷は延暦21年(802年)胆沢城を築き、翌延暦22年(803年)には志波城を築いて最前線の基地とした。しかし、志波城は雫石川の度重なる水害によって移転を決意し、徳丹城が築かれてその機能を移した。
徳丹城の規模は胆沢城、志波城に比べて小さく、350m四方程度であったとされ、外郭は70m間隔で櫓が設けられ、城門は東西南北の四か所に設けられた。
徳丹城は徳田南小学校の辺りに築かれていた。
徳田南小学校の南側に政庁跡があり、西の国道を渡った所に外郭西門跡や木製冑が出土した井戸跡などが残る。その先にある矢巾町歴史民俗資料館に出土物などの展示がある。
矢巾町歴史民俗資料館の駐車場が利用できる。
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