築城年代は定かではないが岩清水氏によって築かれたと云われる。 岩清水氏は平清盛の末裔平信光を祖とするという。
延文年間(1356年〜1361年)に斯波家長が奥州管領として下向したとき、岩清水泰秀が館へ迎え、岩清水御所とも呼ばれた。
天正16年(1588年)岩清水館の岩清水義教は斯波氏を見限って南部氏に内通する。斯波氏は義教の兄岩清水義長に命じて岩清水館を攻めさせたが撃退される。この混乱に乗じて南部氏が高水寺城を攻めにくると斯波詮直は城を棄てて大崎氏を頼って落ち、斯波氏は滅亡した。
岩清水館は南へ伸びた丘陵の先端、館山に築かれている。
主郭は南端の最高所にあり、北尾根に二重堀切、少し離れた位置にも堀切が一条ある。北下の二重堀の内堀が西側面に横堀として回り込んでいる。南下に段曲輪、南東下には熊野神社跡とされる平段があり、通路はそこから南東へ登っているが、薮化している。
道がわからず北尾根からアクセスしたが、登山道は東麓(地図)からある。ただ主郭付近は荒れ地となって薮化している。
最寄り駅(直線距離)