築城年代は定かではないが長岡八右衛門によって築かれた。
長岡氏は斯波氏に仕えていたが、天正16年(1588年)斯波詮直ときに南部信直によって滅ぼされ、長岡氏も運命をともにした。
天正20年(1592年)『南部大膳大夫分国之内諸城破却共書上』には南部東膳助(直重)持分として長岡が記されており、破却されず存続したことが知られる。
長岡館は標高163.3mの館山に築かれており、現在は公園として整備されている。
山頂部に南北に長い主郭があり、それを取り巻くように帯曲輪が付き、北側は水道施設になっている。
山腹に空堀が残っているようであるが、未確認。
北側の国道396号線との分岐のところに長岡城の道標が出ている。北東側の道路から未舗装林道を登ると水道施設のところに至り駐車可能である。
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