築城年代は定かではない。城主は大萱生氏で、文治5年(1189年)平泉攻略の功によって北上川東部一帯に恩賞を得た大巻館主河村氏の一族という。
大萱生氏は斯波氏に属していたが、天正年間(1573年〜1592年)大萱生玄蕃のときに南部氏に従うようになった。
大萱生館は龍源寺の南にあり、西へ伸びた丘陵の頂部に築かれている。
尾根の西端に「大萱生城主の墓」という案内があり、そこから登って行くと大萱生城主の墓がある。城はここからさらに登った所にある。
主郭は開墾されたようで背後は水田となり、その奥には池がある。主郭の西下には二重堀切があり、南西側面は横堀になっている。この尾根にある遺構が北館、谷を挟んだ南側に南館の遺構があるらしいが、そちらは確認していない。
龍源寺から南へ道路沿いに歩いていけば「大萱生城主の墓」への入口がある。
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