築城年代は定かではない。毒沢氏代々の居城といわれ、毒沢氏は和賀氏の一門で和賀政義の三男盛義が独沢郷他二百余町を領して独沢に住んだのが始まりとされる。
和賀氏滅亡後、毒沢氏は伊達氏に従い、毒沢伊賀の娘は伊達政宗の側室となって、後に一ノ関城主となった伊達宗勝を産んだ。毒沢氏は後に只野を名乗ったという。
城は毒沢川の西岸にあり、標高240m程の頂部に主郭を置き、北と東に伸びる尾根に曲輪を配している。
主郭部分は公園として整備されている。主郭は南北に長く、周囲を帯曲輪が取り巻いている。北尾根の曲輪も同様に帯曲輪が数段取り巻いている。
城山の北東にある国道458号線と県道248号線の交差点を西へ進むと左側に城の案内板と駐車場があり、ここから遊歩道が伸びている。北の曲輪は途中から入ることも可能であるが、主郭下の帯曲輪を北へ行った所に降りる道がある。
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