築城年代は定かではない。一説に安倍貞任が築城したとも云われる。 天正年間(1573年〜1593年)に江刺兵庫頭重恒が修築して子の口内帯刀が居城したという。
江戸時代に入ってからも伊達仙台領と南部領との境を見張る為に要害と称して存続し、仙台藩士が在城したという。天正19年(1591年)以後、瀬上氏・小梁川氏・藤田氏・田手氏と続き、万治2年(1659年)には古内氏、元禄8年(1695年)には中島氏が在城し明治まで続いたと云う。
城は口内川の北岸にある丘陵に築かれている。本丸は頂部にあって武彦神社があり、瓢箪池が残る。東に二の丸、その南に大手門跡があり、周囲には西門や堀跡の標柱が建てられている。本丸には石積の桝形虎口があったというが、現在は公園として道が整備されたせいか桝形であったことすらわからなくなっている。