築城年代は定かではないが南北朝時代に鬼柳伊賀守によって築かれたと云われる。 鬼柳氏は和賀氏の一族で、鬼柳伊賀守の行動は「鬼柳文書」で応安3年から応安7年まで記録が残るというが居城については明記されていないという。
「岩手県管轄地誌」には天文年間(1532年〜1555年)に鬼柳伊賀守の居城、伊賀守は天正6年(1578年)羽場館へ居城を移したと記されている。
丸子館は国道4号線北上バイパスにより主郭部分が消滅した。まだ一部残っているという話であったので、いってみた所、バイパスの拡張工事なのか東西両側がさらに工事中であった。おそらくほぼ消滅したと思われる。