築城年代は定かではないが安倍氏によって築かれた。安倍氏十二柵の一つで安倍頼時の三男安倍宗任の居城とされる。
前九年の役では安倍頼時が一族の安倍富忠を説得するために北上したころ、襲撃を受けて負傷し、鳥海柵まで退いたがこの地で没した。
安倍宗任は降伏して都へ連行され、そこから伊予を経由して筑前に配流され大島で没した。
鳥海柵は胆沢川北岸の東へ張り出した台地の先端に築かれていた。 現在は国指定史跡となり看板などが設置されているが、大半は畑地である。 北と南に大きな沢があり、それを利用した要害となっている。
国道4号線古寺交差点から西へ曲がり、進んで行くと東北自動車道に至る。この東北自動車道の東側の側道を南へ入って行くと畑地があり、そこに案内板が設置されている。
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