築城年代は定かではないが長元年間(1028年〜1037年)に亘理権大夫藤原経清によって築かれたと云われる。
藤原経清ははじめ宮城県の亘理郡に居を構えていたが、後に安倍頼時の娘を娶って豊田館に住んだ。前九年の役で経清は安倍氏に味方して捕らわれ斬首となった。
このときわずか七歳であった経清の嫡男清衡は母の再婚先である清原氏の下で成長し、後三年の役で勝ち残った清衡は藤原姓に復姓して豊田館に戻り、奥六郷を治めることとなった。
康和年間(1099年〜1104年)清衡は平泉へ移り、奥州藤原四代の租となった。
豊田館は国道456号線と県道156号線との交差点の北東側、台地の南西端に築かれていた。現在は公園として整備されている。
比高5m程の台地の上にあり、「藤原経清・清衡縁の地」の幟がはためいており、江戸時代に建てられた「豊田城趾碑」が建っている。
国道456号線と県道156号線との交差点の北東側、南麓に公園の無料駐車場がある。
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