築城年代は定かではない。一説に永正2年(1505年)肥田小軌軌吉によって築かれたとも云われる。
天正10年(1582年)肥田玄蕃允軌休のとき、森長可によって攻められ落城した。肥田氏は加治田城に逃れ、のちに後裔は尾張藩士になった。
米田城は飛騨川東岸に聳える標高261mの愛宕山山頂に築かれており、登山道が整備されている。
主郭は愛宕神社の境内となっており、そこから南側に細い帯曲輪が数段ある。登山道西側に一条竪堀が確認できる。主郭の北背後は横堀になっており、岩盤が露出、さらに北下に下ると堀切が一条残っている。
南麓に鳥居がありそこが登山道入口。駐車場はない。
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