天正18年(1590年)稲葉方通によって築かれた。方通は稲葉良通(一鉄)の四男で西保城主であったが、天正18年(1590年)所領を和知村周辺に移され、4430石を領した。
慶長5(1600年)関ケ原合戦では東軍に属して所領を安堵され、元和3年(1617年)尾張藩徳川家付となった。和知稲葉氏は方通、知通、正通、良通、屋通と続いたが、延宝4年(1676年)屋通が嗣子なく没して断絶となり、所領は尾張藩に収公された。
和知城は木曾川とその支流が合流する地点の段丘端に築かれており、現在は稲葉城公園として整備されている。
公園の南側に櫓風や兜風の遊具が置かれている場所が主郭で、北側に大きな空堀が残りかそれに面して土塁がある。土塁にある一部の石積は遺構だという。空堀の西側は土橋状になり、中央に橋が架かっているが、本来は木橋が架かっていたようだ。
主郭の北側には平屋の建物があるが、その裏側にも土塁が少し残っている。
稲葉城公園に無料駐車場があり、トイレも完備している。
最寄り駅(直線距離)