築城年代は定かではない。加治田城主佐藤氏が織田信長に通じたことから、斎藤氏が加治田城を攻めるために堂洞城を築き、岸信周らを配して加治田城を牽制したが、永禄8年(1565年)織田信長の援軍によって堂洞城は落城したという。
堂洞城は加治田城の南方、標高191.4mの山に築かれている。
周囲はゴルフ場となっており、そもそも見学可能なのか不安であったが、調べてみると道標もしっかりあり、主郭には案内板が設置されていた。
主郭を中心に南北に伸びた尾根は緩斜面地形が続いており、あまり人工的な造成は少ない。主郭の南尾根が堀切状になり、主郭の周囲は天然の岩や多少の切岸加工が確認できる。
主郭のある尾根の南側の道路沿いに貯水タンクがあり、そこまで車で行くことができる。道は西と南からついているが、西からのほうが道標が出ていてわかりやすい。
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