築城年代は定かではない。応永14年(1407年)頃には西村豊前守善政、享禄3年(1530年)には土岐氏の一族田原左衛門が在城していた。
天文年間(1532年〜1555年)に多治見修理が謀叛をおこして猿啄城を奪って城主となる。永禄8年(1565年)織田信長の家臣丹羽長秀・川尻鎮吉(秀隆)らによって攻められると多治見修理は城を脱して逃れた。信長は城を勝山城と改称し、戦功のあった川尻鎮吉を城主とする。天正3年(1575年)川尻鎮吉は岩村城主となって移り廃城となった。
猿啄城は木曽川に面した標高265mの城山山頂に築かれている。山頂には櫓を模した展望台があり、多くのハイキング客で賑わっている。
険しい山を利用した要害で山頂部にはわずかな平坦面があり展望台がある。西へ続く尾根の鞍部に堀切と土橋がある。また登山道の途中、標高210m付近の山腹にも削平された曲輪がある。
国道21号線勝山交差点の辺りから登山道入口の道標が出ている。北の谷間の林道沿いに駐車場と案内板があり、そこから林道を少し入った所に登山道入口がある。
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