築城年代は定かではない。城主は斎藤八郎左衛門利直(宗久、宗祐、宗雄など)と伝えられている。
廃城は天文23年(1554年)との伝承があるが、江戸時代の貞享3年に159年経過しているという文書から逆算して大永7年(1527年)とも考えられている。
小野城は美濃市と関市の境に聳える標高423mの山に築かれている。山は現在本城山と呼ばれているが、古くは古城山、大山などとも呼ばれていたという。
小野城は山頂にある主郭から東の尾根と北へ伸びた二つの尾根に曲輪群を展開しており、東西約600m、南北約300mと規模が大きい。縄張りとしては高い切岸と小さな段曲輪を並べただけであるが、東尾根の曲輪群には虎口や通路を絞り込んだような遺構を確認でき、やや発達した縄張りの部分も認められる。
山頂部は東西に長いものの非常に狭い。その下方にこれを取り巻く曲輪が段々にあり、一部にやや大きめの石を用いた石積が残る。井戸もあるようだが一面藪に覆われており見つけられなかった。
北へ伸びる尾根は東西ともに段々と続くのみで堀切はない。
東尾根は一番上の曲輪が広く、ここに登ってくる尾根は両側を絞り込んで細くしている。その下方の曲輪は南に虎口があり、南側面を通路が通っている。この曲輪群の東端は高い切岸の下に堀切が二条あり、南側からの登山道はこの堀切に出てくる。しかし、東尾根の遺構はさらに東へ続いており、東端は弧状になった堀切まで続いている。
登山ルートは各方面からあるようだが、南東の八神集落から登った。お堂の所に登山道の道標があり、畑の間の細い道を進んで行くと尾根に登る道が付いている。登山道は整備され道標も出ている。
最寄り駅(直線距離)